日本語訳 フィリピンにおける「レベッカの時」
The “Rebecca Moment” in the Philippines
日本語訳 フィリピンにおける「レベッカの時」
フィリピン・デュシェーンとその仲間たちが「レベッカ」という船で新大陸へと旅立って以来、「レベッカの時」という言葉は、危険に満ちた状況や、1818年フィリピンがレベッカ号で船出した時と同じような将来に対する不安の中で決断を迫られた時に、口にされる言葉となりました。
フィリピンという国にとっての「レベッカの時」は、1969年8月22日、2名のフィリピン人の聖心会シスター(RSCJ)が、第2バチカン公会議による修道生活刷新の呼びかけに応えて日本から「船出」した時に訪れました。それに先立つ事151年、1818年8月21日にフィリピン・デュシェーンは、ミズーリ州セントルイスの商業活動の中心地マーケット・ストリート・ランディングに降り立ったのです。
更に数名のフィリピン人RSCJが仲間に加わり立ち上げた「小さな会」は、マニラ市内中心部の狭い賃貸アパートに住み、自分たちにとっての聖心会修道女としての修道生活を探し求めました。この共同体は20年間続いた戒厳令下で、政治と教育の活動に参加しながら、1986年ピープル・パワー革命によって独裁政治に終止符が打たれる時を迎えました。
その後間もなく、国家再建への私たちの貢献として、フィリピンの中で最も貧しくなおざりにされてきた州、北サマールへ行きました。このデュシェーンらしいミッションと私たちとの関わりは、今年30周年を記念します。
フィリピン地区の私たちの小さな共同体が、力を合わせて共に祈り、識別して決断し、時間をかけて創りだした第2バチカン公会議後の修道生活は、聖心会における生き方と活動のあり方に新しい展開をもたらす突破口となったと考えられるようになりました。
文・画:マリベル・V・カセラー、RSCJ フィリピン地区
訳 :中山洋子